昭和56年10月7日 御本部参拝 (末永信太郎) №56-135-B
生神とは、ここに神がここに生まれることであってと教祖が仰るその、この生神というのは、自分の心に、そん時そん時に、生き生きと有り難いと思う心なのですよ。ですから、あの、只今あの、奥城で御祈念をさせて頂く時に、横に座っとる婦人が一生懸命、あの大払いを奏上しておられましたから、それで切りがついたところで、私の御祈念に入りました。
そしたら神様がね、あの、ピアノの前にこう、座ったところを頂くんですよ、誰かが。だから、あの、ピアノの伴奏で御祈念をさせて(頂いたとじゃないじゃないでしょうか?)。あの、心が生きておる時にはね、はあ、喧しか、(大払いやら?)早う止めりゃよかとにちゅうな心が起こって来るんです。(ね、婦人の声が )なかったの。そりゃあ( )、あれは駄目なんです。
もう、それにね、もう本当にピアノの伴奏に乗って、リズムに乗って、もう御祈念がスムーズに出けるという心ですよね。昨日は、例によって、あの、福山の御信者さん方が行く度々に沢山、あの、やっぱり御信者が増えて、昨日はもう(ごにし?)、地方の方達がね、話を聞き伝えておった(のとが?)ありました。
ほれで、その中にね、あの、私は初めてでしたけれど、その、ある教会にお参りを(さした?した?)。それで、そこには、あの、その、犬やら猫やらが(ささっておるという?)大変、悩みを持ってお参りしてみえたんです。だから、そんなことはもう、んなら、私が今日を境にお願いするから、心配なさらんでも良いですよと言うて、また御祈念に入らせて頂いたら、あの、神様から御榊立てにね、榊の枯れておるところを頂いたんです。だから、もう、枯れた御榊を御神前にお供えしてはいけません。
もう、むしろ取り除かにゃいけません。枯れた神様は、もう取り除かなきゃいけない。あの、色んな(こう様子に?)お祭りしてある。そげな事でも、もう、あの、焼き捨てていいかどうかちゅうなこと、あの、ご質問があったから、焼いても流してもいい、灰にしても泥にお返ししてもいいですよという話をいろいろ伝えるんですけれども、合楽的なお話が良く分からないわけ。
それで私は、あの、例えば今のお榊がね、もう、枯れておったら捨てなければならないように、貴女のところのお願いをしておったら、こんなにしなければいけない、榊立てと言いましたらね、いいえ、私の方にはもう、榊を枯らすようなことはいつもありませんち言われたの。
それで、他の信者さん方がね、あの、その後を合楽的にいろいろ説明して下さった。そしたらもう、それこそ(つぎた?ついた?)もんが落ちたように、にこやかにして帰られたんですけれどもね。
枯れたものは、それこそ、もう焼き捨てなきゃいけない。そして、いつも次の、あの、生き生きとしたものをね、( )させてもらう。昨日、あの、あちらへ参りましたら、渋谷さんの昨日までが、あそこへ私ども行く前まで、具合が悪くて休んでおられた。
で、おかげを頂いてから、あの、御用の、あれだけの御用をなさると、まあ、ずいぶんバテたろうと思うんですけれども、今朝から私はお礼をする時に、渋谷さんのその会社のことをお願いさせて頂いたら、このくらいばかりの(茗荷のしばちゅうがある?)。あの、茗荷の花じゃなくて、(茗荷の檜の?)。このくらいばっかり、(一椀?一夜?)にして( )したやつをね、頂いたんですけれども。
ここで、いっちょ、いよいよ合楽の皆さんが分からなきゃならないことはね、あの、妙賀の向こうにしか富喜繁盛はないということ。妙賀栄える富喜繁盛と仰せられるでしょう。ですから、このみょうが、心の喜びの妙というものが心に栄える。それに、あの、富喜繁盛が約束されるんです。
ですから、何でもないで、はあ、( )頂いておかげを頂いただけよりもね、本当、ほんに見えるちょっと前まであんなに具合が悪かったのが、おかげでこう置き上がらせて頂いて、今朝もこんな、( )見ると、(もう良う?)なっておられますようにですね、あの、その喜びはまた(捨てるのでしょうが?)。してみると、あの、難とか困ったということは、より大きな喜びを、妙賀を与えて下さることの為のものであろうということ。だから、それは富喜繁盛に繋がるということ。その、お互いが富喜繁盛ばっかり願って、妙賀栄えるを願わないからいかんのです。
だから、そこんところが良う分かると、言うならば、いつもまめで達者にしとる、なら、健康の面でもおかげを頂けれる。だから、あの、痛かったり痒かったりも、おかげでという時に喜びが湧く。その喜びが富喜繁盛に繋がると言うのですから、もう、どうしても徹底してね、合楽の場合はここんところを、もう、自分のままにして行く以外にはないと思うんです。それに( )が( )生神の心です。
心(の しとるいう?)、例えば、じゃあ、これに邪魔しようという、それでっちゃ、そげなリズムがあるですから、それに答えが便乗して乗ったらいい。馬鹿になったり、青になったり、そん時。ね、調子に乗って行ったらいいです。
ですから、あの、喧しい、困ったじゃなくてから、それにこう、便乗させて頂けれる心がね、言うならば生神ということになるです。それを育てて行くことなんです、信心はね。とにかく、あの妙賀の後に富喜繁盛がやって来る。妙賀栄える富喜繁盛ということ。今朝から、あちらの御神前で頂いたことでございました。どうぞ。